「量×質」なのか、「質×量」なのか?

当社の評価制度は、以下の3つを評価対象としています。

①:皆で分け合うための果実を、どのくらい得ることができたか?
②:その果実を得るために、どのくらい顧客に貢献したか?
③:①と②を実現するために、どのくらい考動したか?

以前の記事では、上記にあるような当社の評価制度について数回にわたるシリーズで書きました。特に、③の考動評価の記事では、『自分自身の限られた時間の中で、最善の結果を出すために具体的にどういう考動をするのか』が、大事なポイントだという内容でした。さらに考動についてのポイントとしては、前回の『まずは安心してもらい、信用と信頼を得られるかどうか』ということは大切だなと。

このような内容をもっと深く、もっと具体的に、かつ実際に言葉にして発信することで、当社では皆でどういう考動を実践していきたいか、どういう考動をする人が求められているかが見えてくると思いますので書いています。ぜひ参考にされてください。

さて、表題にもあるように、考動において重要なのは「量×質」なのでしょうか、それとも「質×量」なのでしょうか?同じことじゃないの?となりそうですが、量と質の順番の話ですね。これにはいろんな論争があるのですが、量質転化の法則というのがあって、「量をたくさんこなせば、質もよくなる」という話が出てきます。結論は、量も質もどちらも大切だと終わることがほとんどですが、当社では「質×量」の順番を重んじています。

それはなぜか?

まず大前提として、努力することは当たり前のことなので言うまでもない話ですが、まずは動かないことには何にもならないですよと。また、量をこなすことも、質を上げることも大切なことは、これまた言うまでもありません。日々努力していることは当然のことであって、量が先か質が先かの話で、当社では『質』を先にしたい、という内容です。

まず、努力をしたからと言って報われるわけではありませんし、必ずいつかは良い結果が出るとも限りません。これが重要なポイントでもあります。そもそもその努力の中身や仕方が間違っていると、良い結果につながらなず、いくら量をこなしても無駄なんです。悲しいかな、無駄なんです。

目的地にはつながっていない間違った道を、いくらがんばって進んでも目的地には到着しませんよということです。

また、いくら量をこなしても、そこに自己の内省や新たな知識の習得等の創意工夫がなければ、軌道修正することができず、質に転嫁させていくことができません。要するに、何も考えずに量をこなしていても質には転嫁しませんよと。

正しい内容で考動していけば、いずれは質に転嫁していきますし、努力すればするほど、時間をかければかけるほど、良い結果へと近づいていきます(少なからず個々の能力やセンスも影響しますが)。

じゃ~、結局は「量×質」じゃないかという話になってくるのですが、さらに話を続けます。

誰もが皆、量を質に転嫁できる人ばかりではありません…。それに、何も教わらずにいたずらに量をこなすよりも、まずはある程度の基礎を教えてもらってから量をこなす方が良いことは、誰が聞いても納得するはずです。

素人に教わるよりも、プロから教わったほうが正しいカラダの使い方や、理論等の頭の使い方、効果的な練習方法も習得でき、間違った努力をしなくて済みます。また、間違った内容で努力するよりも(得られる効果が低い内容を行うよりも)、断然に得られるモノは多いのです。さらに忘れがちなのは、間違った方法や効果が低い方法の継続によって付いてしまう“変なクセ”を矯正する必要もありません。低い質から始めるよりも、高い質で始めたほうが上達も格段に早く、良い結果が出やすいのです。だから、お稽古事等はその道のプロに教わりに行くのではないでしょうか?

高い質の内容を大量にこなして、他の誰よりも実践していくから上達するのも早く、他の人に勝てるようになるのです。上手な人はさらに上手になり、強豪チームはさらに強豪になっていく仕組みと、その循環があるのです。

当社でも、誰もが高い質を学べて実行できる仕組み作りに取り組んでいます。それは、何も大金を費やした大掛かりな仕組みがあるわけではありません。誰かが得た知見、良い結果を出せた工夫等を、毎週のミーティングで共有するようにしています。少しでも、誰かが発見してくれた高い質を皆で共有し、高位平準化できるように努めています。

あとは、自分自身が限られた時間の中で、良い結果が出るように量をこなして、自分の血肉としていくだけなのです。ほら、いつのまにか良い結果が恒常的に出せるようになっていて、自己成長しているのです。