なぜ、当社はそんな方針や制度になっている? 創業初期のピンチを乗り越える編

なぜ当社は今のような方針や制度になっているのか?の起源というか経緯について、長々と思い出話を交えながら書いていくシリーズの第5弾。前回の記事では、創業2年目にピンチを迎えた話を書きました。もうそろそろこのシリーズを終わってくれという声が聞こえてきそうですが、そんな声は右から左へと受け流して、今回は創業当初のピンチを切り抜けたエピソードです。

思いついたサービスが売れず、ピンチを迎えた一番の根本原因は、相手が求めているサービスではなかったということでした。

でも同時に、商売やビジネス、事業といったものは、『相手がお金を払ってでも解決したい困り事』の存在と『その困り事を解決できる手段』を提供できること。さらには『そこに、食べていけるだけの一定のマーケットがある事』がまずは重要なんだと学びました。サラリーマンの頃もビジネス書を読んだりして頭ではわかっていたつもりだったのですが、いざそれを自分の頭と身体の全身で痛感したことによって、本などから得たうわべだけの知識や理解ではなくなったのです。

そして、生き延びられるのか、それともここで終わってしまうのかと切羽詰まった状況なので、プライドなんてちっぽけなものは不要で、何の役にも立ちませんし、自己中心的な考え方も捨てる必要がありました。以前と同じように再度自分を見つめ直し、自己変容することになり、またまた考動を変えたのです!

かっこよく言えば、自分の中で自分自身と対話して、最善の結果を出すには自分自身がどう変わらなければいけないかを話し合い、更新プログラムをインストールして再起動したのです。

早速、昔取った杵柄(むかしとったきねづか)というか、それが陳腐化する前に活かそうと、前職と類似性がありそうな同業他社を片っ端から巡りました。時には人伝いに社長や役員等の役職者を紹介してもらい、時には飛び込みで訪問したりと。

〇〇社の〇〇様からご紹介いただきまして。
こんなことにお困りではないですか?
こういう内容にご興味はありませんか?
同業の皆さんで集まって情報交換したり交流しているのですが、参加されませんか?

と、相手の関心や困り事を知ることから開始して、相手からの「これに困っている」とか「こういうのがあれば助かるね」という声を拾って、一つずつ解決策を形にしていったのです。そこで出会った人から新たな仕事を頂戴することになり、また次の人を紹介してもらえたり、応援してもらえるようにもなり、徐々にピンチから脱することができ、何とか生きながらえることができたのです。

しかも、その時に出会った皆さまとは飲み仲間ともなっていくのです。私より一回りも二回りも上の世代(干支は一緒)なのに、何軒もハシゴする元気さだけど…。その中から、当社の顧問になって頂いた人もいます。皆さま、この場を借りて御礼申し上げますと共に、健康に留意しながら楽しく長生きしましょう!

このピンチを乗り越えた経験から学んだこと、得られたものは非常に大きく、今の当社の礎となっていますし、私の財産でもあります。

最善の結果を目指すには、手に入れたい果実があるのであれば、上手くいかないことがあっても落ち込んでいる暇なんてありません。少しは落ち込む時間も必要ですが、短時間で気を取り直して、諦めることなく「あと一歩、もう一歩」の努力が必要ですし、時には自分自身の考動を変えていけるかどうかなのです。そして、これらの内容が当社の考動指針へと具体化していくことになるのですが、考動指針についてはこちらの記事を参照ください。