なぜ当社は今のような方針や制度になっているのか?の起源というか経緯について、長々と思い出話を交えながら書いていくシリーズの第4弾。前回の記事では、鉄道の高架下にある居酒屋で、「起業という第一歩を踏み出すための、背中を押してもらった」という話を書きましたが、今回は創業当初のお話しです。
遡ること、時は西暦2012年10月1日。当社はこの世に産声を上げました。ついに会社を創業したのですが、無計画で無謀に起業したので、私一人だけの会社です。さらには、最初から順風満帆にいくわけもなく、苦難な道を歩むことになるのです。ホント、アホですね…。
あれ?
想定と全然違うな…
計画通りにいかないな…
創業初年度は、とてもありがたいことに前職や知人からお仕事をもらえたので、何とか生きながらえることができました。転勤辞令を断って、大どんでん返しで退職したのに、前職はなんて懐の深い人たちだったんだろうか。今でも当時の同僚や上司等とは交流もありますし、私と同じく社外に出た人たちとの付き合いも生まれています。今更で申し訳ないのですが、改めて色々とお世話になりました。
1年目は前職や知人のお蔭で何とか生き延びることでき、2年目に突入します。でも、前職や知人から回してもらった仕事だけに甘えていてはダメだし、いつかは終わるモノでもあります。安定した収益源(新大陸)を求めて大海原へと航海に出るのですが、荒波は想像以上であり、どうも上手くいかないなと感じ始めます…。
あるサービスを思いつき、営業してみる。あれ?上手くいかないな。
また次のサービスを思いつき、営業してみる。ん?これも上手くいかないな…。
これまでの営業時代は、自分で言うのもなんですが、成績を上げていたのです。会議中に居眠りすることはあっても、売ってくる、成績を上げる自信があったのです。ところが、売れない。なぜだ?
まず最初に、電話しても飛び込み訪問しても、会ってもらえないし話を聞いてもらえない。そりゃそうだ。前職は誰もが知る会社グループであり、企業ブランドやロゴが付いていた。怪しまれることもなく、会社という組織が持つブランド力や安心感、これまで先輩方が積み上げてきた実績が、ちっぽけな存在の私という個人を引き上げてくれていただけのことだった。2社目のベンチャー企業へ転職した時と3社目に転職した時にも、この小さな企業と巨大企業とのギャップを感じたはずなのに、人間とは新たな良い環境になじむと、遠い昔の苦しかったことや都合が悪いことは忘れる生き物なんですね。生まれたばかりの、小規模で無名な企業との差という現実を改めて知ることになるのです。
そしてさらに重要で本質なことは、売れない一番の根本原因は、相手が求めているサービスではなかったということです。
「こんな商品やサービスがあったら良いな」とアイデアを思いつく人は多いでしょうが、それを相手が求めているとは限らないわけで、必要ない物を買う人はいないのです。そう、ここでもまた、自分の基準で物事を考えていて、独りよがりだったのです。あぁ~、いつか通った道なのに、人間とはついつい自分に都合が良く、主観で物事を考えてしまう生き物なのです…。
「こんな商品やサービスがあったら良いな」と思いついた時、それを誰かが困っていて、「それ、お金を払うから売ってくれ!」と言ってくれたらビジネスの可能性があるのです。そして、購入してくれる人が一定数居れば、商売として成り立つのです。でも、当時の私のアイデアは、そうではなかったのです。
ち~ん。
創業2年目で、ピンチを迎えました。
