なぜ、当社はそんな方針や制度になっている? 当社が生まれる直前編

なぜ当社は今のような方針や制度になっているのか?の起源というか経緯について、長々と思い出話を交えながら書いていくシリーズの第3弾。前回の記事では、浅はかな自己中的な私の考動を改めたことで物事が好転したという話を書きましたが、いよいよ今の会社を起業するお話しです。

遡ること、時は西暦2012年頃。3社の経験を通じていよいよ起業することになるワケですが、起業する前にも『いつか通った道』が再来したのです。

「お前、いつになったらやるねん?」

会社設立の話へ進む前に、少しだけ時計の針を戻して、3社目を辞めることになったキッカケというか引き金である、転勤辞令が出た話をします。

大手家電メーカー子会社人材派遣会社の、営業拠点勤務から本社企画部門勤務等で勤続10年目を迎えた頃、「4月から転勤してくれ。〇〇県の支店で営業に戻って欲しい」と、身柄確保と移送の令状が出たのです。会社に属している雇われ人(サラリーマン)という生き方であるからには、会社から辞令が出ます。自分の都合で勤務地や仕事内容を決めることはできません。最初は転勤するつもりで、赴任先の住居を探さなければと動き出していたものの、自分が次に進みたいキャリアパスではなく、正直な気持ちは乗り気ではありませんでした。でも、そこはサラリーマンなんです。転居先の住居も探さなければと、自分を納得させようとしていたのです。

そして時計の針は少し進み、転勤準備を少し始めつつの東京出張中にこれまた転機が訪れます。すでに独立・起業していた先輩2名を生意気にも呼び出して、転勤辞令が出たことや今後のことについて相談すると、こんな言葉が返ってきました。

「今このタイミングで(独立を)しないと一生やらへんぞ。お前はいつか独立するって言うだけで、全然やらへんやん!」

と、二人とも眼鏡をかけた関西人で、当然のように眼鏡に手をかけながら関西弁でダメ出しされたのです(眼鏡は関係ない)。有楽町と新橋間の鉄道高架下にある赤ちょうちんの居酒屋という、まさに絵に描いたようなシチュエーションで。私もつい反論的に「独立しますよ!」と言ってしまいましたが、確かに学生時代と同じように、このまま今回も口で言っているコトと実際に取る考動が違って良いのかと。いつか通った道をまた繰り返すのかと。いやいや、その頃からの想いを、今こそ果たさないようではダメだ。もう二度と起業なんてしないだろうなと思い直して、会社には退職を伝えました。そして、今の会社を起業するに至るわけですが、玉突き人事だったこともあり、相手の同僚や会社関係者には大変な迷惑をかけてしまいました。この場を借りてお詫びします…。

ちなみに、この時に高架下で私に“活”を入れてくれた先輩2名は、まだまだ健在ですし、現役バリバリで自分の道を歩まれています。また高架下に呼び出そう(いや、そこは言葉使いが間違っている)。

私の場合、『どうしてもやりたいことがあって、世の中のこういった問題を解決したくて、その想いを抑えきれずに起業した!』というような多くの起業家とは違って、勢いだけで会社を辞めて起業しちゃった無計画かつ無謀なタイプだったのです。そのため、会社設立後も多くの失敗や遠回りをすることになるのですが…。