なぜ、当社はそんな方針や制度になっている? 転機が訪れた編

なぜ当社は今のような方針や制度になっているのか?の起源というか経緯について、長々と思い出話を交えながら書いていくシリーズの第2弾。前回の記事で書いた挫折経験を元に、自分を見つめ直し、自己変容したことが功を奏して、好転する道を進み始める内容に入ります。

遡ること、時は西暦2002年頃。自分の浅はかさを痛感し、挫折を味わいながらも、2社目の会社に関しては自己中心的な考えですぐに辞めることもなく、「顧客、上司や周囲から自分に求められているコト、期待されていることに応えよう」と、相手が求めている良い結果を出すために心機一転して働く私がいました。

この変化が、流れを好転させます。

少しずつではありますが、相手が求めていることへの取り組みや、相手が求めている良い結果を出していくことで、社内外関係者からの私に対する反応や期待も変わってきたのです。感謝され、協力してもらえ、時には頼ってもらえる。さらには、良い考動を他の人よりやることで、次の新たな良い機会を優先的に回してもらえるようになる、ということも学びました。

2社目でやっと『学生』から『社会人』へと変化・成長できたワケですが、会社から求められた役割である人材事業の立ち上げに奮闘したことで、大手家電メーカー系人材サービス会社の役員ともご縁が生まれ、立ち上げに際していろいろとアドバイスを頂戴することもできましたし、その後、そのまま先方の会社へ3社目として転ずるご縁を頂戴することにもなっていくのです。

どうやら、一生懸命に取り組んでいる姿を見て、可能性を感じてくれたのだとか。その恩人も今はもう他界されていますが、私の人生に一つの“転機・天機”を与えてくれた人でした。ありがとうございました。

3社目では、昭和という時代に世界に名だたる巨大企業グループを築いた創業者が残した経営理念、収益や人に対する考え方、組織構造、業務が回る仕組み等があり、これまでの会社とは何もかもが違っていました。その頃の私はすでに新卒ではないですが、もう一度基礎からやり直そうと、人材派遣の新規開拓営業や本社企画部門等で、悪ふざけしながらも時には真面目に計10年ほど働きました。今の会社経営につながる大切なことをたくさん学べましたし、今でも大切にしている教えが盛りだくさんです。この3社で働くうちに、こちらの記事で書いた考動指針のベースがカタチ作られていくことになるのです。

と、きれいなストーリーのように書いていますが、“勘違いの自己中心野郎”というこれまでの自分を見つめ直し、自己変容するまではボロボロでした…。

上手く行かないことに対する苛立ちや、これから先どうなるんだろうといった不安や焦り。これまでの自分自身の考動の浅はかさや至らなさに、情けないやら何やらと、ストレス満載だった時期もあるのです…。このままの状況が続いていれば、ひょっとすると心身共に潰れていたかもしれません。

どうやって自分を見つめ直し、自己変容できたのか?

まず、『これまでの自分自身を否定する時期もありましたが、私という生き物を受け入れた』という感じです。どういった部分は良いところで今後も活かす部分だけど、どの部分は改善が必要だなと。ま、自分を受け入れられるようになるまでは自己否定しまくっている時期もありましたが、自分の中で「いつまでマイナスでネガティブな思考を続けているんだ?貴重な時間とエネルギーを、良い結果を生むこともない内容に費やしていては、ほんとうにダメなやつになっちゃうぞ~」と、ネガティブでいる自分自身のことがこれまた情けなく、時間の経過と共に嫌になってきたのです。

一時期はネガティブな心情が優勢だったけど、ポジティブな心情が元気を取り戻し、優勢になることで前進していくことになりました。もしあの時、ネガティブなままで居続けていたら、今の私とは異なっていたでしょう。物事を好転させられる考動力も身に付いていなかったことでしょう。

そんな出来事もあったので、こちらの記事で書いたように、最善の結果に向かって自ら考えながら動くことや、自分自身の感情や行動を律する、コントロールできるセルフマネジメント力(自律)って大事だなと思うようになったのです。